2006年 08月 24日
私の料理歴 |
「ベターホームのお料理一年生」
これは高校生の頃、父からもらったもの。
当時、両親が共働きだった我が家。
高校生になると夕飯の仕度は
私の仕事になりました。
それまで食器洗いや、米とぎなどを手伝い
中学生の頃から家族の食事を時々作って
いたのですが高校からは
平日のほぼ毎日作ることになったのでした。
冷蔵庫には母が買ってきた食材が入って
いて、それをみてメニューが決まります。
お料理上手な母は料理雑誌の切り抜きを
たくさんファイルしてくれていたのでそれも
参考にしながら作っていた記憶があります。
そんな時、父から渡されたのがこの本です。はじまりにも書いてあるように「ふつうの料理本以前の本当の基礎」がとりあげられています。いつもレシピと一緒に愛用していたのでした。もちろん今でも大活躍の一冊です。
あれは確か中学の頃・・・はじめはうまくいかず、味もイマイチなんて事がたびたびあり
父と母は何も言わずに食べてくれましたが「正直な」弟の一言で何度、涙したことでしょう
台所で涙を拭くけなげな私(爆)
高校生の頃も、食事の支度がだんだん負担になってきて「なんで私が!?」と反発した事もあったけれど、なんでも美味しいと食べてくれ、美味しいもの好きの家族の中で自分も食べる事が好きになり、料理のウデも上がっていったのだと思います。
今思えば良い経験でした。夕飯の仕度があるから遊べない。という事もなかったですし。
夕飯の仕度をしてから夜遊びに出かける高校生でしたから。ふふふ。
お料理好きにするにはやっぱ褒めなきゃ!!(笑)
そうそう、私のお料理デビューは確か小3。
今でもしかり覚えているあの状況・・・。
お友達とショッピングに出かけた母が夕飯時になっても帰らず、お腹をすかせぐずる幼稚園の弟をなだめようと「私が作る!」とキッチンへ向かったのでした。
見よう見まねの初挑戦のため、一回目は
失敗しゴミ箱へ。二度目に悪戦苦闘している最中「ただいまー!ごめんねー」と息を切らした母が帰ってきたのでした。
「色はいいわね♪」と母からビミョウなほめ言葉をいただき
「魔法の調味料☆味の素味」のチャーハンを食べたのでした。
これは高校生の頃、父からもらったもの。
当時、両親が共働きだった我が家。
高校生になると夕飯の仕度は
私の仕事になりました。
それまで食器洗いや、米とぎなどを手伝い
中学生の頃から家族の食事を時々作って
いたのですが高校からは
平日のほぼ毎日作ることになったのでした。
冷蔵庫には母が買ってきた食材が入って
いて、それをみてメニューが決まります。
お料理上手な母は料理雑誌の切り抜きを
たくさんファイルしてくれていたのでそれも
参考にしながら作っていた記憶があります。
そんな時、父から渡されたのがこの本です。はじまりにも書いてあるように「ふつうの料理本以前の本当の基礎」がとりあげられています。いつもレシピと一緒に愛用していたのでした。もちろん今でも大活躍の一冊です。
あれは確か中学の頃・・・はじめはうまくいかず、味もイマイチなんて事がたびたびあり
父と母は何も言わずに食べてくれましたが「正直な」弟の一言で何度、涙したことでしょう
台所で涙を拭くけなげな私(爆)
高校生の頃も、食事の支度がだんだん負担になってきて「なんで私が!?」と反発した事もあったけれど、なんでも美味しいと食べてくれ、美味しいもの好きの家族の中で自分も食べる事が好きになり、料理のウデも上がっていったのだと思います。
今思えば良い経験でした。夕飯の仕度があるから遊べない。という事もなかったですし。
夕飯の仕度をしてから夜遊びに出かける高校生でしたから。ふふふ。
お料理好きにするにはやっぱ褒めなきゃ!!(笑)
そうそう、私のお料理デビューは確か小3。
今でもしかり覚えているあの状況・・・。
お友達とショッピングに出かけた母が夕飯時になっても帰らず、お腹をすかせぐずる幼稚園の弟をなだめようと「私が作る!」とキッチンへ向かったのでした。
見よう見まねの初挑戦のため、一回目は
失敗しゴミ箱へ。二度目に悪戦苦闘している最中「ただいまー!ごめんねー」と息を切らした母が帰ってきたのでした。
「色はいいわね♪」と母からビミョウなほめ言葉をいただき
「魔法の調味料☆味の素味」のチャーハンを食べたのでした。
by r-kobeya
| 2006-08-24 05:25
| いいものあれこれ